・非公開の場で決められたことに対して、それを覆されたことがある。そういうことをされると分かっていたらそれが起こらないように対策としてすべてを公開せざるを得ない。決めたことを覆すにはそれなりの理由が必要で、影響された人たちが納得出来るものでなければならない。理不尽または身勝手な理由で決定を覆し、影響された人が納得できないときにはそのことが公開される。
・大学の内での教授と学生という立場の差を考慮し、非公開の場で学生が言えることを制限され、教授が公開の場では言えないようなことを言うという事態を回避できる。
こういった事態を回避できるシステムは、学部で在籍していた大学で目撃している。残念ながら今の京都市立芸術大学にはそのシステムが存在しない。しかし、現在私がアクセス可能なustream、ブログその他の資源を使うとこれに代わる同じような機能を持ったシステムを私の能力の範囲で存在させることができることがわかったので、これを実行する。
・非公開にするだけの納得のいく理由がない限りは、大学の教授として行うこと、大学の院生として行うことは何でも公開するという前提で対応しなければいけない。
そのような状況は他にも存在するが、今の私の立場上これを例に上げた。
今まで私はそのように考えてこなかった。すべてを社会に公開にしたときに、社会が納得できる価値と理由を持ったことなど大学院でしてこなかった(学部でのことはまだ精査にかけてないので保留したい、もししていたのであれば見つけたい)。
今後もそのような姿勢で美術をすることはできない。美術のなかにいる人達だけに価値があることを学生として公然とすることは不可能。今までしてきたことを振り返ると自分自身は美術という価値観にのっとった差別者だ。これからは、価値のあるものを美術として扱う。そのための一つとして、高橋悟とのやりとりをすべて美術として扱い公開する。
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