2011年3月24日12:10に受信したメール。
件名:Re: 山根です。面談について
山根さん
面談の目的を整理します。
1)10月まで休学となるが、修了審査、作品制作など時間的な問題を考慮すると4月から授業に参加する事が望ましい。
2)休学以前からの問題であるが、他者の作品には論理的に語れるのに、自己の作品に関しては、制作行為とコンセプトの関係がうまくいかないという問題にどう対応するのか。
3)「大学院生というのは、自分自身に創造的な「問題」を与えることができること。」というのが私の定義です。アメリカで私が大学院生であったとき、さらに、カーネギーメロン大学や、ミシガンの大学院生も、この「問題を自分で探し、自分に与える。」ということを前提に入学し、その問題意識を他の学生と話しあうことで、多角的に検討するということをおこなってきました。これが、大学院と学部の大きな違いです。
4)休学中に期待されていることは、上記の「自分自身に創造的な「問題」を与えることができること。」について、「正面から向き合うための期間」です。
5)「講読会」は、毎週1回おこないます。の前期の目的は、
a)学生間で、読み、書き、話すことができるフォーラム形成のための準備。
b)美術や思想を巡るさまざまな基本的な概念についての共通の理解の準備。
c)現代思想や美術などで流通している概念の理解と検証。
6)「構想ゼミ」は、個人面談とグループディスカッションを隔週に行う。学部上級生と大学院生共同。
7)「災害」と芸術に関しては、ゼミで意見を交わすことが生産的だと考えます。そのことで、それぞれの人達の考える社会・芸術・制度にかんする認識の差異や同一性が見えてくるはずです。あるいみでは、コンフリクトを生む場でもあると思います。一方で、柄谷行人が取り上げた「災害ユートピア」のように、権力がもたらす制度・秩序が行使されている間は、「他人と競合したり、警戒しあったり」という状況に置かれていた個人が、制度・秩序に、揺らぎが生じた時には、「他人とつながり、たすけあいたい」という意識のもとに、自発的に共同体を形成するという可能性をアートとの関係から探求したいと思います。また、僕個人としては、マルグリット・デュラスの「ヒロシマ・私の恋人」という小説に於けるアプローチに別の可能性をみつつあります。
8)ビデオ中継、記録に関しては、なんでも許可というものでもありません。例えば、講読会など複数の人達がかかわる時は、カメラという監視的存在が、場の空気を変えたり、コミュニケーションに影響すると考えます。「メデイァの権力と大学における学生と教員の関係」などある意味で、フーコー的な問題意識をもって、中継は記録をすすめるという意図があるのでしょうか。
9)次回の面談では、まず、プロジェクトの構想や、言葉で書いたものをもってきてください。そこから具体的な話しがはじまると考えます。
高橋悟
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